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【”そろそろ見れなくなる町石” 2023/05/23】
☆見れなくなる!☆

 みなさん、こんばんは!
 お昼の方は、こんにちは!
 今起きた方は、おはようございます!
 hatakichiです。

 長野駅から善光寺まで歩く時や戸隠古道を歩く際に目にした事があると思いますが、石で出来た標柱の様なモノ。これを丁石と言います。読み方は”ちょうせき”や”ちょういし”と決まっていない様です。以前どう読めば良いのかと前戸隠神社藤井宮司様に聞いた事があります。その際の回答では「”ちょうせき”と呼んで欲しい。」と。それ以来、僕は”ちょうせき”と呼び、お客様にもそう説明しています。
 この丁石は先程書いた様に距離表示と道標を兼ねています。約109m毎に置かれています。細かい事は改めて書きたいと思いますが、今回は戸隠神社奥社参道にある丁石について書きたいと思います。

 この丁石一の鳥居から戸隠神社中社までは丁石と書きます。戸隠神社中社から戸隠神社奥社までは町石と書きます。何故、漢字が違うのかは、不勉強で現在お知らせする事が出来ません。また勉強しましたら報告したいと思います。
 その町石戸隠神社中社から戸隠神社奥社までの間に”36町”あったとされています。しかし、現在は戸隠古道沿いには3個”八町””二十一町”と・・・。

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 ”八町”はこんな感じで歴史も浪漫もあったもんじゃ無いって感じの最近設置したという感じのモノですね。でも無いよりはいいかって感じです。数年前に死去されましたが、隣接する場所で”越水ロッジ”を経営されていた水上憲宗氏が平成壬午年5月に設立したものです。何年なのよ、壬午年って?”みずのえ うま”って読むのか。平成14年なのか・・・。21年前に建ったという事は、小鳥の森より新しいという事ね。

 戸隠神社奥社参道に入って約570m程進んだ右側に”二十一町”が草の中にひっそりと有ります。
 
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 興味の無い方は多分見過ごしているでしょうね。もしも見ても「なんなんだろう?」って感じでしょうね。字を見てみると”〹一町”と縦に書いてある。この”〹”という字は何ぞや?
 調べてみると”蘇州号碼(そしゅうごうま)”という中国江南地方の蘇州で生まれたとされる数字だそうです。でどんな意味かというと”二十”という意味。なるほど、なのでこれは”二十一町”という事になりますね。この”町石”は先程のモノとは違って歴史とロマンを感じます。大切にしないとですね。

 先程3個あると書きました。あと1個は何処にあるでしょうか?これは普通の観光客の方は絶対に解りません。これを戸隠の方以外で知っている方は、余程戸隠研究家、または僕をはじめ戸隠古道を専門で案内をしている人に教わった方だと思います。
 今回、この事を書こうか悩みました。どうしてガイドがお金を取れる情報無料で公開するかというとそろそろ永久に見る事が出来なくなってしまいそうだからです。僕が戸隠古道の案内を始めた25年位前はもっとよく見えていた気がします。
 
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 先程の”二十一町”からGPSで距離を測ると約415m程ですので計算上は”二十五
町”
になるんじゃ無いかと思われます。CTスキャンをすれば確実な事が言えると思いますが・・・。

 このBlogを読んだ方は、是非見に行って下さい。もう後何年かすると完全に杉に飲み込まれて見えなくなります。

 僕は死ぬまでに戸隠古道の全ての”丁(町)石”を復活させたいと思っています。その為には、しっかりと関係各所や専門家と話し合いながら進めていかないと達成出来ないと思っています。是非、皆さんもご協力して頂ければと思いますので、宜しくお願いします。

 






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